814中嘘) 嘘つきだらけの中で育つと(環境の影響)

814中嘘)嘘つきだらけの中で育つと(環境の影響)

Zの話は
Cへ
・嘘を考えてから出力(つく)までのスピードが早い
・嘘に対する抵抗感からの判断が慣れでどんどん早くなる
・嘘つきに囲まれていると嘘に対する抵抗は薄くなる
・嘘つきの行動は「自分さえ良ければ」で一貫
・嘘つきは普段から周囲を考えさせないバカにしていく
・嘘つきは常に周りを洗脳していく傾向がある
・嘘つきは普段から常にチャンスと獲物を探している
・悪い繋がりは裏切りに脆いもの。
・裁く方も嘘つきを知ることで正しい許し方や反省のさせ方、子育てにまで。
・皆んなの中で少数派が育つ環境があることを
・みんなや普通を自分の感覚で語るなら、痛い言葉からも逃げるな!
・偏らない為の意見を集めること
・「黙っている」とは、許容するのと、許容するしかないのと。
・「任せたよ」と言い、任せるのと、任せるしかないのと。
・得意な話しになるのか・逃げたくなる話しになるのか
・サイコパス・嘘つきの言語に対する認識遺伝
・サイコパスが後天性なら罪悪感の薄れる環境
・嘘偽りのスキルはどこで磨かれてきたのか?
・この時代に説明していかなくてはならない「後手必勝の正義の強さ」の為にも
・嘘つきの先手必勝の強さは本当に本物なのか
 先ず第一歩は「自分の嘘に対する考え方を知ること」から

Aへ
・「当たり前だ・いーから」セットは虐待親子と同じ教育。子供はそれを繰り返すが家庭内のみ通用
・奢りが強いと見下し差別主義者になり、長持ちしない。ウワベの謙虚も吸収力の目的に違和感がある。語れないビジョンに仕方はないのだろう。
・「勝者の詰め込み」では上には立てない時代は来る
・いい子たちが「カタチから入ってくれているうちに良い中身を詰め込んで育ててあげる」ことで本物の良い子になる。
・良い子が良い子でいてくれる為にも「真面目な人が損をしない世の中を作ること」が重要ではないかと考える。


本 文

Cへ

どちらも大小さまざまな嘘は

「つけるようになる」ということ。

ただ

嘘つきと正直者の違いは

嘘をつくことに対する抵抗から来る

「判断のスピード」が違う。

この判断は頭の中で嘘を考えてから出力されるまでのスピードの速さで、罪悪感や良心との戦いかな。

嘘つき等(#1)に囲まれていると

普段から嘘に対しての抵抗が薄くなる。

薄くなるのは なんとなくではなく、嘘つきの「大丈夫」を(「つく側の視点」から)見ているし、そばにいる人に対して「ミンナだってついている」と少しずつ洗脳していくのが世の中の嘘つきのやり口だから。

嘘つきにとっては普段から周りの人を嘘つき(仲間)にした方が 全て好都合なのですから。

ここで、一言だけ置いておく。

悪い繋がりなんてのは常に裏切りの中、脆くある。

サイコパスは「その場のその時」嘘をつくかどうかの意思決定の反応時間が早い傾向が見られるという研究結果もあるらしいが、コレはそうなるだろう。

  嘘つきは環境の中でも育つのは事実で影響は大きいだろう。

普段から「その場合の嘘はついていいんだよそんなのミンナだってついてるよ」の範囲が俺達よりもとても広く、それを周りに洗脳したり、されたりしていると思われる。

  サイコパス自身は自分の欲望のためにも自身の許容範囲を広げ、鍛えていくだろう。

  ここにメスを入れたいのであれば、、俺はもっと突っ込んで説明してやれる。

嘘つきにとってもサイコパスはとても怖い存在だろう。

だから 皆んなも「本物の普通や常識…“皆んな」を語るなら、これらの中にも存在する嘘が平気になってしまう少数派が育ってしまう環境も考えておくべきだろう。

 友達や親友を多く増やして、そこで重要なのは「自分との違う意見に耳を塞いだり、聞こえない所に自分を追いやったりしないこと」が大切であり、偏らない為の意見を集めること。

 「皆んな」とか「時代の今」を語るつもりで生きていくなら。

 自分の好きな友達ばかりの中で自分を育てると、ある意味では普通が偏り、多様性を語りつつもそれは

「自分達さえ良ければ」となりかねない。

知ってて「許容する」と言うのと

解らないから「許容する」と言うしかないのと

範囲の広げかたで、本当に大きなものを持っているのか、大きそうに見せていくしかなくなったものなのか

 得意な話しになるのか・逃げたくなる話しになるのか

 普通という言葉の中身の話題や、嘘という中身の内容の話題も。

 ただ、嘘については、逃げたくなる意味はもう一つあるよな? 話題からではなく

(だが、これについても、アホが罪悪感を独自の屁理屈で乗り潰しているとタチが悪い。)

サイコパス自身の嘘に対する意思決定のスピードの速さは、似たような人との出会いで育っていくのだろう

  戦国時代の「刀でヤルかヤラれるかでは先手必勝が圧倒的に有利」で、侍にとっては相手に斬りかかる(殺す)判断のスピードを鍛えるためには、躊躇していない人()に付き、技術・能力以上にその判断や考え方を聞いていたのではないかなあと。

  あの時代には「技術的に弱い者でも負けない強さは先手必勝」だったりしたように、ある意味卑怯な強さの教えにもなるというものだったのかも。

 体格・技術・スピード的に弱い者でも欺くことや卑怯な手段で勝てる強さを持つ者の教えは、勝ちにこだわる者ならば、有難い教えになるだろう。まあ、それが親でもいいだろうし。

だが、その判断も時代の変化の中で受け継がれていないだろ?

それは人を殺すことで解決する時代じゃなくなってきているからな。

でもここには強い侍の血も当然残っているだろう。

  サイコパスが遺伝なのか、環境なのか

とにかく、「強さ」とは、この時代、どこにあるのかを しっかりと教えて伝えるべきだ。 

     もちろん、「後手必勝の正義」だろう?

そのためにも「報いの証明」を作り上げて行く必要がある

嘘も皆んなが「つかなきゃいけない(生き残れない)」という今のココからこの先「つかなくてもいい時代」にしていくことで、親に育てられたサイコパスも何とかなる!そのためには皆んなが「嘘について」を理解することから。

 先ず第一歩は「自分の嘘に対する考え方を知ること」から。

ではないですかあ〜?^_^

なっ?サイコパスさん

こんな内容も本人達が否定したければ、否定したらいい。

 そんな否定も俺たち皆んなが人々と互いに知り合うことの 始まりのキッカケという入り口になっていく。

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Bへ

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Aへ

嘘が平気になるのは、環境が強いこともある。

 子供に「普通」や「皆んな」を一言で語るなら、大人は社会全体をリアルな自分の周りから知っていくことを覚えていってほしい。

その時、頑張れるのなら、(苦手な人に飛び込むくらいの)偏りのない人付き合いをすることで本当の「皆んな」を語る説得力になっていく。

  誰かに聞いた普通や皆んななら、あまりその言葉を自分が本当に知っているかのように使わないほうが君や君の相手のためだと思う。

 何故なら君やその相手も分かっていない人の言葉で分かった気になり、それ以上の情報を気にかけないような方向に向く。

奢りが強いと見下し差別主義者になり、長持ちしない。ウワベの謙虚も吸収力に違和感がある

  本当には解っていない(確かめられない)言葉を、当たり前だと思い込んでそのまま言う。

聞き手はそれを繰り返すが、時代の変化を理解しにくくなる。

「いーから」同様で雑な教育。「勝者の詰め込み」は本当の強さで上には立てない。(子供が天才で、孤独でも良いなら別だが)

言葉は違えど、コレこそ「嘘が平気になる環境」と同じさ。親の言葉を確かめずに繰り返す。「当たり前」と「いーから」のセット」は虐待教育を繰り返す奴等と同じ理論。

 奴等の嘘や偽りのスキルはどこで磨かれてきたのか

例えば 社会に出るまでに「いい子であること」を演じ続けることだったり本人にとっては様々だが、そこに対して、不用意に口にしないほうが良いこともある。「いい子をカタチから演じているうちに良い中身を詰め込んであげること」が大切。

「ありがとう」も「ごめんなさい」も最初は言い方、成長や出来事に対して、次から何故を教えていかないと反省の色だけになる

 そして一方では他人である僕ら世の中全体も「周りの良い人間が損をしないこと」も重要ではないかと考える。なぜか解りますよね?

 本当には解っていない(確かめられない)言葉を、当たり前だと思い込んでそのまま言う。

聞き手はそれを繰り返すが、時代の変化を理解しにくくなる。

しっかりと噛み砕いて柔軟に対応できる力を備えさせる。

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#1

嘘つき等

見下し差別主義者や、表裏二重人格者…




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