2011 報) それで、だから、それだから

2011 報)それで、だから、それだから

Zの話は
・「失敗を隠すオマエ」と「隠さない俺」の違いは
・「ミスを隠し合う友達」と「助け合える親友」の違い




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本 文



きっと誰でも
「失敗をしたこと」は言いたくはないと思う。

だから言わないオマエと

だけど言う俺。

「それが普通だ!」という俺たちに ある当たり前の違い。

だからこそ言わなきゃいけない俺が
だからこそ言わなきゃいけないオマエに
俺が教えてやるのさ。

言いたくないから言わないオマエはそれで、だからそのままで、そこからの可能性は、隠せたことをいい事に、「バレないモンなんだな」と。

そしてソレがオマエのその判断の道を突き進む上で自信となる経験になってしまうだけ。
で、それがショウガナク当たり前の今のオマエがいる。

それを言う俺は
それだからこそ成長していき
今がある。

お互いに
側にいるだろう?
隠し合う友達と、助け合える親友。
相談してみるといい。

それすらもいないのなら、先ずはこれを読んだりして、心を太くして世の中に出ることからだ。

だけどそんな俺も 「だからこそ言わなきゃいけない俺」という「失敗してしまう俺」だったんだよ。
(だが、こうしてこんな話ができるのは、小さな頃から嘘に対して「もし本気の演技で嘘をついたり隠したりて、本気で騙そうとしたことがバレたら俺の言葉は一生信用されない声になってしまう」と心のどこかで考えていたからな。この考えを持っていると嘘はつききれない。)

いいかい?
正直者がバカを見る世の中は この今に確かにあって、それが損か?得か?なら難しくない。
これは俺も含めた皆んなで作ってきた社会の中にあるんだが、、

だからといっても
正直に言う俺は、先に言っておく。

正直に言えばそれだけで許されるとは思っていないから。(例えば裁く方と裁かれる方の見てる全体の広さが違ったり、立場からの…)
そこで正直に言われた貴方がどう俺を裁くかさ。

これも先に言っておく。

隠したり逃げる悪い奴と比べられて褒められても、それが理由で許されることとは違うから、普通にそれぞれの反省点を一緒に考えて、そこに関わる全ての人間の成長を創り出していきたいと思っている。

さてと、平等、公平、公正、それぞれの報いが納得できる世の中の「正直者がバカを見ない世の中」を、俺がどうやって作っていくか。

お前の子供達の生きていくこの国の一つ一つをね。

ただ冒頭での
「失敗をしたこと」を言いたくはない時、
だから言わないオマエと
だけど言う俺。
「それが普通だ」という俺たちに ある当たり前の違い。

 ひょっとすると子供の頃は俺達とオマエ達は逆だったのかも知れないな。





2011 報)それで、だから、それだから

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