844長嘘) 「自分は嘘つきではない、だから人にも言えるんだ!」という人へ

844長嘘)「自分は嘘つきではない、だから人にも言えるんだ!」という人へ

Zの話は
A・Bへ
・「嘘はいけません」と言える立場の人とは、嘘がどんなものかを知っている人間なのかも。
・嘘を否定する説得力とは本当に発言者の声か?気持ちはわかるが、俺は文章の理の中にあると思う。誰が言おうと1+1=2なんだ。
・「おまえに言われたくない」とか「おまえだって人のこと言えないじゃんか」に進歩や成長、協力、分け合い何一つ意味や価値がない
・嘘をつかせずに済む解決策を説明できる経験者の反省談や嘘の回避案。
・罰を科してヤメさせるより教育でヤメさせる
・人はどこまで考えて信用できる・できないを見て決めているのか?
・普段からその人の行いの奥までを感じて判断している
・避難訓練に参加した人それぞれの信頼性とは
・ただ信用できる人、さらに信頼感まである人
・悪いことをしてても悪いことを否定して良い
・誰だろうと悪いことは「悪い!」と言うべき
・ただ「いけません」を繰り返すだけでは
・「避難訓練の例え話」
・状況や背景に親身になって相談にのれる人の豊かなアドバイスと、そうでない人の繰り返すだけの一言
・否定するだけの説得力と相手を変える説得力
・ネット上の否定批判はそこまで気にしなくて良い。その理由は(そのまま参照)
・聞き手の理解力で受け止めてもらえるだけ
・内容はどうあれ「気持ちは絶対受け取れ!」
・タバコの話の例え
・嘘つきだからこそ嘘つき側の視点で言えることも
・皆さんの言う「説得力がない」とは何を指すのか?先ずは自分はどう思うかを考えてみて。

Aへ

説得力は
・悪いことはしていない人だから “ある”?
・悪いことを乗り越えた人だから「ある」

・悪いことをしている人でも、言ってることが正しいことならば「説得力はある」としろ。
・「していない人は堂々と言える立場(存在)なだけであって、相手の背景に寄り添って修正させるまでの説得力は持っていない」ことが多い。



本 文

A・Bへ

僕の書く「嘘が損」という内容を「言われなくても分かってる、当たり前だ」とする人も中にはいると思う。

この人は普段から自分の声が信用を失うような嘘をつかずに生きている人だと思う。

だが、“嘘をつかない人が嘘を否定できる”と言ってしまえば存在の持つ説得力的には確かにそうで、他人に言える立場的や権利的には文句はない。

  だが、実はそうともばかりは言えない。

「嘘をつかなくてもいい立場や環境、細かく言えばその状況にならない人のそれには、、

お前たちが冗談と言いながら本気で言い返す

「言える立場・権利・存在的な説得力は無い」のである。

例えば
・昔話の王様みたいな立場や、

・リアルな自分を見せなくていいネット上の匿名的な人

・ずっと人々と関わらない引きこもりも「嘘をつく相手がいない」ので嘘すらつく必要もあるわけないだけの環境の人

  なので、厳密に言えばこの人達は「嘘をつかなくてもいいだけの人」であり、この人が「自分は嘘をつかずに生きている人だ!」と言えるとしたら、誰もが嘘をつきたくなるであろうその立場や状況に自分が置かれた時、嘘をつかずに正直に言える自信の強さが実際にあるかないかを、色々な体験談などから考えてみて、信用をもらうには普段、自分のその自信を、類似する他の状況下でも見せて説明してみせておく必要がある。

まあ、俺から言わせれば説得力とは、誰が言おうが、その文章の理の中にあるのだがね。そして理解力な。

僕は誰に何を言われても

「おまえに言われたくない!」とか
「おまえだって人のこと言えないじゃんか!」とは言わない。たとえ思ったとしても言わずに、理解力で「自分にとって今その意見を聞き入れたほうが良いかどうか」を判断し、「わかった」のか「わからなかった」のかの返事と、「ただ、今の自分にはそれを受け入れて進めるのかどうか」を伝えて、受け入れられるアドバイスだったなら、出来る限りの結果を出して「ありがとう!」と言えるようにしていく。

 例えばホームレスやニートや無職の人に「ちゃんと働けよ!」と言われて、そうしようと思ったり、思っていたのなら「わかった、ありがとう。そうしますね」と。

仲の良い相手なら「じゃあ一緒に職を探そう!」って言ってみるのだろな。

 オスのように 「相手を黙らせる」より、この方が絶対に自分や自分達にとっては良いはずだと思っている。  

 できるか・できないかの前に、やるか・やらないかだからね。で、やるかやらないかは、自分の考え次第だし、考えは自分や相手や誰かの言葉で……色々とね。

だが、これはかなり難しいことで、皆さんの中でも、本当の謙虚さ・説得力に頼らない理解力・向上心・理想判断・成長の・・・これらが色々と身に付いている人間でないとできないだろう。

  でも、ここで頭に入れておいてくださいね。

おっと、話しがかなり逸れてしまった。

話しを戻して

◆「嘘をついても解決しないでしょ、それよりも○○して、○○すれば嘘もつかずに済むし」嘘回避案などをアドバイスできる人の説得力。

   嘘を否定できる説得力を更に求めて言えば「その場凌ぎの安易な嘘をつかない」ということはイコール「しっかりと解決する考えの元で正直に言える強さ」を説明できないと、「つきたくなる嘘をつかなかった判断をした経験を乗り越えて言える人」とは信用と信頼というか、信頼感が少し違う。

◆罰則規定を設けてヤメさせるやり方よりも

  「俺はひき逃げは絶対しない!」と言わせるだけではダメ。その根拠が「ひき逃げすると刑が重くなるから」という理由だけでも信用、信頼とはならない。

「ひき逃げすると刑が重くなるのは、何故なのか、それは被害者さん側とその関わる全ての影響と救えたかも知れない可能性のそれが、自分のところに回り回って返ってくる報いは、いつか自分の子供や身内が同じ目に遭ってもいいのか!?」という広いところにまで普段から説明できないと信用信頼とはならない。

  実際に実績がない人にとってはこれらの内容で判断するしかないし、これだけを話せれば「(この人は)ひき逃げするわけがない」とも俺は言わない。

  俺の信用判断は更に「普段からの言動の信用があるか」そして「その言動と行動は自分や自分達さえ良ければではなく、広い範囲で社会全体の繋がり意識までを考えらている動きになっているか?」の幅があるなかで、どの辺で、その説明が「不自然ではないか?」まで相手のことを考えながら聞いているのかも知れない。

   言葉にすると難しい説明になるが、こんなふうに人間は誰しもが何となくも自然に深いところで相手を

「なんかこの人信用できない気がする」とか判定しているのではないのかなと。

 ◆もう一つ余分に例えると「信頼感とは」

避難訓練を頭で分かってるだけの人と、分かった上で実際に参加して、そこでも不真面目な人と、真剣な人と、更には「一応参加してみたよ」で終わりの人と、参加後に自分で復習して能力的なものの隙を考えて成長や人助けの思考を必要なだけ備える準備が出来る人まで、信頼感には差が出てくるものだろう。

  こんな人がいるとかいないとかの話しではなく、信頼感を説明する例え話しだぞ。

➖➖

そして、話を戻して

◆「否定するだけと変えてあげられる説得力の差」

「嘘はダメ!」と言えるのは「私は(その状況でも)嘘はつかないから人にも言えるんだ」とするのは大いに結構だし、言ってあげればいい。

  ただ、当たり前言葉「嘘はつくな」の一言だけで、しつこく繰り返すのはやめてあげてほしい。(それでなくなるなら誰も苦労しない)

 何故なら嘘をついてしまった状況や背景に親身になって相談にのれる人と「そうでない人」がいるから。

  「そうでない人」に限って、否定する同じ一言を繰り返すだけになる。

言える立場なだけであって、相手を変える説得力は持っていない」のである

  (例えば独身無職の近所づきあい無しの独り暮らしで引きこもるなら嘘をつかなくてもよい環境下で生活することもできる場合があるし、人付き合いから離れているから、対人関係や会社組織での立場上の言動やルールなどを背負った気持ちなどは解らない訳で、頭の中には人付き合いの悩みが無いとは言わないが、((世間の人々の中で生きる人と比べると))割とお花畑の綺麗な心でいられるので、会社組織の中のリアルな現場的な人付き合いでの苦労が十分に理解してあげられていないことがある。

   その為、ネット上の批判の一言にも浅く単純な熱だけが込められてしまっていることが多い。

  批判の説得力も文字制限のせいにしているのか、短文にして、それっぽい言い方に力を入れているだけで、本人達は気づいていないが、自分アピールが邪魔していて、アドバイスの結果成果に対する本気の熱にはなっていないものも少なくない。)

◆「嘘をつかなくてもいい立場や状況の者の批判」というのは、ネット上にも溢れているように、相手の背景も知らずに一般論な善悪を言えるだけ、何を言っても受け止めてもらえるがそれは聞き手の理解力で受け止めてもらえるだけ

だから相手の気持ちを考えていないし、考えなくてもいい人ということになるとまでは言い切れないが、この種の人達も含まれるということで、理解しておいてほしい。

 これはどんな人に言っているか」って?

もちろん自分も含めた全員にだが、先ずは「他人(相手)の嘘に厳しい人の中で、“自分は(いわゆる)嘘つきではないから、人にも言えるんだ”と思っている人」、そしてこのタイプの人に「嘘に至った背景も訊かれず」ただただ「嘘はダメだ!ついてはいけない!」と言われて悩んでる人に。

「自分に対するネット上の否定批判はそこまで気にすることは無い」と言ってあげたい。

◆でもせっかく言ってくれてるのだから、否定批判の内容はどうあれ、「心配してくれる気持ちだけ」は受け取ってあげてもいい。

  「タバコの話しで例えると
タバコをやめようとしている時、タバコを吸っていない人に「やめなよ!(僕は吸ってないから言えるんだよ)」と言われたが、この人の中には吸っていたけどヤメた「オレは○○だからやめたんだよ」という人と、そもそも吸うこと自体をしなかった「僕は○○だから吸わないように決めているんだ」という人がいて、後者の方には「買えて吸える環境の人」と、「金がない、または買えない・または吸えない環境というだけの人」もいるということ。

  それぞれの説得力はどうあれ、アナタ自身がやめる時に、この人達の説得力に力を借りて「やめる」のなら、自分自身が誰に相談したらいいのかを考えて、どちらにしてもせっかく心配してくれる人の気持ちに対して失礼のないように自分自身の気持ちを説明できるようにしておいてください。

  そして結果に繋げてください。

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Aへ

(一言でまとめると)
当たり前のことだが、

嘘は人との関わりの中でつくことができる。

嘘は人と関わらない状況や状態、環境下では嘘などつかなくて済む。

これだけでも人が読めば「嘘の基準」がどこにあるのかも(言訳をしてくる奴に)考えさせることも必要になることが分かる。

(極端なところでいえば「自分自心に対する嘘もある」と言われるだろうからね。そんな人にもできるだけ対応していくことも考えて話を進める)

嘘つきに「嘘そのもの」を否定する説得力がないわけではない。

嘘つきだからこそ、自分の嘘が周りにどう影響して、自分にどんなふうに返ってくるのかも、嘘つき側の視点でわかる。

悪いことをしたことのない人は、「悪いことを否定する説得力」があるのかという話。

悪いことはしていない人だから “ある”?

悪いことを乗り越えた人だから「ある」?

「していない人は堂々と言える立場(存在)なだけであって、相手の背景に寄り添って修正させる説得力は持っていない」ことが多い。

でも実は悪いことをしてる人でも、現在しながらだとしても、説得力は言葉(文章)の中にある。

 こうして話すことで、皆さんの言う「“説得力”」とは何を指し、どういう時に「説得力がない」とか言ってしまうのか?本人にその発言目的を一度考えさせたいところまで。

 ここに書くものは主としてこんなことだが、この入口からも、報いのある無しに繋げていくことになる。

(悪いことしてる人が「悪いことをしてはいけない」と言ってもいいし、言わなきゃいけない。

 ただ、他人に言った分、人に言っておいて自分が悪いことをやれば、そこにどういうふうに人間的な心の報いがあるかまでを繋げていく難しい話になるということ。)






844長嘘)「自分は嘘つきではない、だから人にも言えるんだ!」という人へ

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