850中嘘 ) 話しは押し付けるな!とは?

850中嘘 )話しは押し付けるな!とは?

Zの話は
B・Cへ
・押し付ける説得力とはどこにあるというのか
・言葉は聞き流すことも、文章なら読まないことも、ただ読むだけも、自由にできるもの。
・無視できないなら無視できない理由がある
・利も、理も無いものでも、別に目的があれば
・読み手の理解力・吸収力・読解力次第です
・一理あるという、逃げ言葉をよく考えておく
・心の何処かでは、それが求めるべき理想だと思っているのかも知れないのかも知れない
・認めたくない理由があると全力で否定するだろ? どれくらい嫌がっているのかを先ずは知り、そんな全力で嫌なことをもし乗り越えられたらとても凄い力持ちになるだろうな
・一度「ミンナ」を使わずに否定してみてくれ
・お前一人が否定してもしなくても現実的には内容や事実がそこにあるだけ。
・オマエが言う、押し付けられるモノや者とは?
・オマエの遅刻の嘘の言い訳の陰で 他の正直者が比較されてバカをみるがそれでいいか?
・こちらの説得力とは、お前の理解力にもよる
・「“いいと思ってもらえるかどうか”」さ
・全判決「お互いのせい」という一言だったら?

・「考え方的な言葉」は言う人勝手かもしれないが、聞く人勝手のほうが強い。
自分が「相手の言うことを“聞くしかない”」のは“何故なのか”を知るのも良いだろう。



本 文

B・Cへ

言葉は押し付けられない。

力任せに押し付けてはいけない。

読み手の自由が一番いいだろう。

本にしてもタイトルをみて 自分が欲しそうな情報でも 読んでみると要らないものだとしたら? 読み流すことをしてしまうようにね。

それくらいにしておくぐらいでも十分。

俺の話は特にね。

いつか

無視されたがごとくに忘れ去られるものと、

その人の知識〜人格の基礎となり自然に取り込まれてくれたもの

どちらかになるだろう。

それはあなたの(文字からの)読み取り次第。

こんな俺の話しもそうさ、そのはずさ。それでいい。

ただ おまえの心が素直に「そうだね」と言えず

 「一理ある 」だとか 「正論だ」とか言ってみてしまうのは、それが“理想的”だと心のどこかで知っているからだろうな、そして同じく頭は現実的な難しさも知っていて、自分自身がその何となく正しさを感じるものを取り入れると 自分自身の明日からの生き方を、嘘に逃がしづらくなくなる分、今までより生きづらくなるから、、今持ってるボキャブラリーの中の組み合わせを駆使して全力で否定するのだろう。

 その1つの手段として 発言者の評価や存在の粗を探してみたり、「ミンナだって!」と言い、(自分だけのことでいいのに)世間の一般的な直感的反応的な判断を持ちだして否定する方向に喋り出す。そんな時は一度「ミンナ」と言わずに否定してみてほしい。できないかな?

 これは自分個人の判断で否定すると自分の理想や良識判断が後々に疑われることになるためである。自信もないのだろう。

(一理の正しさや理想にかすってもいない事だとしたら、オマエの場合まずは自分の良識判断だけで否定してくるはず、順番的にはその後にミンナだろ?)

まあ、分析が合っていても・合っていなくても君が否定しようがしまいが、指摘した現実は何一つ消化されることなく問題としてそこにあるだけ

なあ?

考えという内容の話しを押し付けられる場合があるとしたら

聞くしか無い状況や条件やだろ?

この時代にオマエはどんな話しなら「押し付けられる!」というのか?

で、俺に何を「押し付けられた!」と思うのか「俺とお前の場合」の説明をしてみてくれよ。

 そして、お前が他の人の心配もできると言うのなら、一緒にその人達の心配の種をとことん解決して行こうぜ!ん、どうだ?

例えばな、押し付けられるモノや者を考えてほしいのだが、

「明日から詐欺を働きなさい!」という言葉の命令を誰ならオマエに押し付けられるというのか?

親や社長、天皇陛下、アメリカ大統領、自分の子供、恩師の先生

後輩、部下、若者誰に言われても君は「はい」って答えるのかい?

逆に「詐欺を働いてはなりません!」と言われたら?

「明日から嘘をつきなさい!」

「嘘をついてはいけません!」だったら?

この嘘という一括りだと 否定も肯定も内容に含まれる要素がいろいろあるだけに

だから 嘘の中でも“これくらいのことなら”というこんなことから書いてやる。

「(寝坊した)遅刻の言い訳を“嘘”でしなくてもいいように、明日からその嘘については自分自身だけの責任なのだから正直に言って反省し、無責任に騙して得をして、真面目で正直な人をツマラナイ思いをさせてしまうところだったことを自覚しなさいよ」と 「誰かが言っていたよ」と書いてやるからな。

少しずつでいい。

言葉を使って「考え」を押し付けることができるとしたら?

 オマエが「この考えの通りに動いた」結果を出したところまでが事実となれば、そこに何があったというのさ?

押しつけられた考えで動いても、それは表面にすぎない。俺が求めるのは心からの動き。お前が心で動けるとしたは「キレイゴト」なんだよ。

 そこまでいくには、オマエ自身が俺の話しを、先ずは「理解して」次に、「良いとして、いいと思って、得だと考えて、自身の中に取り入れること」をして、更に「実践されて」オマエの自信になり、その自信を誰かに伝えて

という成長の流れだろうけどな。

俺の考えをオマエに押し付けることができるとしたら「“いいと思ってもらえるかどうか”」はもちろん、「この方が得だということを思わせられるか」なんだよ。

こちらの説得力とは。

当然、お前の理解力にもよる。

俺もお前も「人のせいにする」か、「自分のせいにする」か、ならハッキリする。

 だが「お互いのせい」という一言だとすれば、うやむやにする気満々なだけの奴と同じだろう。

オマエの言う通り、裁判所が「もっともらしいこの一言」のみの判決ばかりだったら世の中のミンナはみ〜んな平和に成長するのだろうにな?アハハハ。




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