313 心e)  綺麗事とは

313 心e) 綺麗事とは

簡単には手に入らない。
なぜなら 綺麗事に抗う奴等がいるから。

そう。他人の前に、

先ずは自分の心の中にいるはずだ。

努力と楽しいとラクと綺麗事という言葉

普通の人なら
楽しいことは誰でも好き。

ラクなことも。

綺麗事も。

だが、努力が条件となると話しは別だ。
実際には この努力が絡むと人の話はわかりやすい。

楽しいことや、それに対してラクになるため、綺麗事も、、努力しなけりゃ手に入らないなら「何もしない方がいい」何もいらないから何もしなくていい。

本能的の範囲だけで働いている人々の意識とはひょっとしたら、、俺たちが無意識に呼吸してるくらいの感覚で生きているのかも知れない。

少なくとも赤ちゃんの頃の俺はそうだったからな。

そして、実は同じように十代後半の俺は一度意識がオスレベルに堕ちていたことがあったと言える。

あの頃の俺と話せれば、今との違いにミンナもこの意味が解るかもしれない。

だから自分なりに自己分析を精一杯説明するのさ。

簡単に言うと10代前半の頃は

「好きだからその相手とキスやSEXがしたい」だったはずなのに、、いつの日かSEXの味を覚えた俺は「SEXがしたいから好きとか言ってみたり」になっていたこともあったような気がする。
  要するに「誰だって分かるだろ?ショウガナイじゃんオトコなんだからさー」とあの頃は言っていたのだろう。

二十代になってその賢者タイムの虚しさから、「こんなものを求めていたのではない」と

プラトニックな頃の感覚が記憶の中に輝いていたし、俺の恋愛感情は何処に行ったのか、、と、真剣に悩むようになっていき、失くした原因を分かり始めた頃、ショウガナイ中からシカタを探し始め、その頃から、「ミンナだって」と言いながらラクをしたりする事を辞めて、自分の使う言葉を自分自身の責任に確かめていったのが始まりだろう二十代半ばのある時、ハッと自分の存在の個性や意識を流していたミンナから取り戻したのかもしれない。

快楽のオスに堕ちる前に「プラトニックの経験」があったから、比較が出来て、そこに戻ろうと思えたのさ。

だが、お前たちのように

「そろそろ彼女を作らなきゃ」

「そろそろ童貞を捨てなきゃ」
などと普通や人目を気にして初めてを始めてしまったお前には比較基準や戻る場所がなく、恋愛感情は利害打算勘定に尽きるだろう。

「この人じゃなきゃダメ」と「この人でいいや」の違いさ。

幸せは人それぞれ、思い込みなら思い込みなりの「報い」はしっかりとある。大丈夫さ。

#1

表現者の歌詞にある「孤独の朝の清々しさ」はここにある気がする。

ただ心配なのは
俺の場合はモテていた自惚れから、孤独を二十歳まで知らなかった。(孤独だったことに気づかないバカだっただけかもしれないが)
だからとても孤独というのは恐怖感だったと説明できる。

 もしかすると綺麗事の恋愛経験が無くて「周りのミンナが経験してるからSEXをやってみた」という人には比較基準が無いからもう無理なのかもしれない。

わかんないけど。ひょっとしたら俺の話しが、まるで理解できないものかもしれない。




# 1 因みにハッとした時の言葉は「絶対」という言葉を「この今から絶対と言う時は、自分自身の中では100%の絶対なんだ!」と思い込んで思い込んで、、念じ切った瞬間にハッと、いろいろが不思議なんだけど、ハッキリとした自己の意識が立ち上がった。というより、思い出した。もっと説明すると、オスに堕ちていた頃の記憶が夢のように、、オカシイ事をやっていた自分に気づいた瞬間だったのさ。

同じような感覚の経験を持つ者がいたら話してみたいもんだ。
(:そして俺はこんな体験をしても、無宗教の人なのさ。
宗教を否定してはいないが、俺個人の意識の中に特に神様的なものは持っていないというだけ。

 この世の中が色んな人々の生活活動によって出来ていて、自分もそんな皆様の活動の恩恵も受けて生きている以上はそれぞれの信念や信仰の結果成果もありがたく思っておりますし、感謝の心は地球と一人一人に向けて。)





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