手紙 心について

★手紙 「心について」

俺は その場に関わるたくさんの心を見てきた。
隠してる本音、分かりにくいもの、厄介で難しいもの、立場上見えにくいもの…奥にある本音、聞きたくなかった本心…
そんなウワベでは見えない心。
皆さんが苦手なものから、逃げずに話すことでね。
誰でもただ聞いていれば、心の内を全てを話してくれるわけではない。
金を払って全てを教えてもらう知識でもない。
君だってそうだろう?
話してもいい相手と、そうでない人がいるはず。
その違いを言ってみればいい。

★手紙 心について 続き
心は多種多様な人々が関わるあらゆる場面で求められるもの。
皆んな欲しがるものなのに、正解などなく、苦手な人にとってはどんどん苦手になってくものだ。

僕は一対一で「相手」に合わせた例え話などを用いて伝えることは得意だが、こうして「皆んな」を相手に書く文才はまるでないことに気づく。
だが、きっと、これも逃げなきゃ少しずつ上手く書けるようにもなるのかも知れない。…いや、なっていくはずだろうし、一生懸命やっていれば、ある所からは伝わり、認められ、読み手の理解しようとしてくれる心の力も、もらえるようになるだろうからね。
そしたらその時、そこでまた何か新しいものが始まる。
それを楽しみに、それを見たくて、その先を「全ての人と一緒に」作り上げたくて、、こうして書いてきた。

◆「訳と言い訳」とその理由
今回のように できるだけ多くの人に、できるだけ下の者に変化を付けるためには当然説明が長くなり、クドくなってしまっているはずだ。
それは「小学一年生にも自分で読めるようにするために全て平仮名で書いておくようなことだが、その分大人には読みにくい」というようなもの。
更にもう一つ読みにくくしているものがある、それは誰でも「自分で答えに気づくことが一番良い自信」が持てるため、一から十までを話さず、最後の答えは自分自身で考えて出してもらうようにしてあるため、答えの三歩手前の一から“八”までにしてあるためだ。
なのでただボーっと読んでいても、、「え?で、何?何だったの?わからない」となりかねない。
(だが、もし今に分からなくても、俺や僕が知り合ってきた他人の考え一つ一つを真面目に考えて頭に入れておいてくれれば、リアルな現実の人付き合いの場で必ず生きる時がくるだろう。)

だがこうして、下から変えていかないと、世の中全体の人付き合いは改善していかないだろう?
なぜなら君達は、「世の中には悪い人がいるから…」と言って、なかなか他人を信じれず、表面のお付き合い程度ならともかく、隣の人にも心を開けないし、そんな自分も開いてもらえないワケだからな。

とにかく俺がここまでの人生で得た「人付き合い」での大事なことが一つ一つ書いてある。
あなたの方も俺が何を伝えているのかをしっかりと考えながら読み取ってくれ。

ここまで来て、ここまで書いてきて…まさか
「読んでくれ」と弱気になるとは思わなかったが、確かに俺には文才がない。

とても読みにくいことは謝る。
これでも全ての記事を何度かずつ読み直したが、「嘘が損」の記事の一つ一つはあれでも8回以上読み返してもきたが、時間等の条件からも自分1人ではこれが限界だ。

せめて広告などは入れないでおく。
素人の文章というより、素人の話しだが
お前の知り合いよりも、お前に大切なことを教えてやれるつもりさ。
俺も頑張って書いてきた。
お前も頑張って読み取れ!

日本人は平均的に身体がモヤシなんだ。
その心までモヤシになってどうするんだ!?
君の人生を暗くする原因が人付き合いだとしても、君の人生を明るくするのも人付き合いだ。
そして、心から信じ合える本当の親友を一人一人が増やしていってくれ。
それだけさ。

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◆冒頭 心について

これだけの、豊かなこの時代にも
大切な「人付き合い」が
苦手で、希薄になっている。
出来てたはずの「人付き合い」が
苦手になり、希薄になっていく。
しかも「人のせい」ばかり。

具体的には他人の心が分からないから。
実は自分側にも「分かつ真心」が無いのかも。
しない・できない・やれない理由探しなら得意だろう?
なあ?この先「心で繋がる人付き合い」は本当にいらなくなるのかい?
「ミンナそうだよ」とかじゃなくて、これは個人同士のことなんだってことだけ覚えておいてほしい。

例えば君に、優しさの考えがあったとしても、それを分け与えるべき相手の心を見抜く目・見極める目に自信がなく結局動けないで終わる。
人のせいにして踏み出せず、たられば後悔のオンパレードさ。
それはリアルな人付き合いの経験が不十分なためだろう。人と心通わす自信が無いはずなんだ。

優しさは「持っている」というだけのためのものか?
開放して行動できなきゃ…詐欺師それと変わんない。奴らもキミと同じことを喋ってるぞ。
優しさは「何があった時」の頼れるものとは少し違うんだ。
何も無い普段に与えられるものなんだぜ。

心が弱いってのは行動する勇気が無いだけではないんだ。

心が弱いと
とにかく悪いことは人のせい。
悪そうなイメージのことも、人のせいにする保身の傾向が強い。
そして良いと思ったことが出来ない訳も、やっぱり出来ない・しないのも、やれない理由も、やらないワケも…
ツマラナイ原因も、お前の心の中の本音は全部人のせいなんだろ?
#1
だがお前の言うそれは本当なのか?
その悪い原因のその人のせいで、真面目で心優しい絶対自分に原因は無いと思っているだけの「正しきお前」が、何も楽しめないと?

それが本当だとしたらそこにも報いがないよな?
とても泣けてくる可愛そうな話しだ。
そう、可愛そうなのは周りの人さ。
お前の持っているその「大きな優しさの恩恵」を受けられないんだからな…結局理由も解らずに。

…ってことだろ?
せっかく頭に浮かんだ優しい考えを「でも」や「だって」でいつもゼロに終わらせるなら、それを口に出して結局何をアピールしてるんだい?

女の子達に「口だけじゃん」って思われる前に、俺と一緒に動き出そうぜ!

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俺はケンカの相談や仲裁もたくさんし見聞きしてきた。

♦︎「何かされた事実があったとしても」
確かに自分にとって悪いことや、損をさせられたり、危険な目に遭わされたりした方は、自分に非がない場合は特に相手のせいにしたくなるが、例えばそういう場合でも「赦せる相手」と「赦せない奴」かいるだろう?

それは何が違う?
金持ちなら赦せるのか?
違うよな?…ソイツの心だろ。

だが、ここでも人の心の本当がどこにあり、どんなものなのかを分かっていなけりゃ、許すも許さないもないだろう。

(そして心!心!と言っても、家族と数人の友人しか心通わせていない人達には難しい一言だから、解るところから僕は説明していく。
何となく分かりやすいものからどんどんとハッキリさせていき、人の心が少しずつでも見えてきて、感じられるようになっていってもらいたい。そのために。)

♦︎「単なる事実から必要以上に悪く言うと悪口となり、悪意の心があると思われてしまうぞ」
その時のお前に言い分があったとしても、相手には相手の言い分があるし、人間でも失敗はするし、人だって気分がある、ロボットだって電池は切れそうな時もある。お前が見てるのはそんな一部なのかも知れないということ。

だが、ここでも相手の言い分、相手の心を確かめもせずに、物事の事実だけで決めつけて全てを語る奴が多い。
「ただの事実からだけ」で相手を悪く言える状態や状況であれば、「それで良し」とするお前。
確かに一方から見た一部の事実のそれだけで相手のせいにできれば自分の方はラクだからな。

…で、お前に対して普通なら相手は謝っても来てくれるはずなんだろう?


それなのに相手が謝っても来ない場合があるよな?
それどころか、相手も怒っている場合まであるよな?

それなのに「自分の側から見えている事実」だけから、お前は相手を最後まで悪く言うが…

第三者として客観的に聞いてるほうは、頑ななお前のその様子から何かの可能性に気づくことがある。

もし、損をしてる自分の事実に至った背景をしっかりと相手にも確かめた時、自分の方にもあった非に気付かされることになったら、責められたり反省するのは自分の方となってしまうし、他にも心情的にも赦すしかない相手の事を知ることとなった場合…損した分を諦めるためのの怒り矛先が無くなる可能性もあるからな。

例えばそれは「自分は健康だ!」と信じ思い込んで健康診断にずっと行っていなかった人が、今に行くのが怖くなってるようなものさ。

とにかく、こんなどうでもいいような日常の小さな理由からも、人々は相手の心を確かめようとすることから、どんどん離れていき、一人一人がどんどん苦手になっているのが、とてもよく解る。

例えばよく言う「人付き合いの煩わしさ」とは、、、…。(続きは本文へ)

だが、心が弱いうちは人生の中で嫌なことはしなくていいし、嫌なことから逃げるのは大事だが、、“人付き合い”や「税金」など、人間にとって大切なことや必要なことからは一時的にしか逃げられないので、少しずつ苦手を克服する努力をした方が良い。
力が付いてこれば、それなりにできるようになる。

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・人の心を知ろうとしない人が増えている。
そのくせ「自分の心は分かってもらいたい」と思っていて、更には「自分のことだけは分かってもらえているはずだ」とまで思い込む始末。

人の心というのは、何かあった時にこそ、肝心なところがよく見えるのです。

日本語の“器という言葉”は評価のためのカタチのみでしか理解できていない人もいる。

人々がついて来る本物の心と、そうでない者の心の違いを見抜く力も、実は自分の心の成長が関係しているはずだと僕は思っている。

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・自分の成長は誰だって当たり前に感じるが、
他人の(心の)成長は簡単には信じられないから。
それは、他人という同世代の友達が育つ過程や他人の心の成長のキッカケを遊びやトラブルの中等で共に感じたりしていないことも一因だろう。

・人をコントロールするのは金という餌でしか動かす手段を知らないでいると、人が信じられず、人のせいにする言い訳が多くなるだろう。
それにもう金というそれだけでは、なかなか本気を引き出せない時期が来てるだろう?

だが、そんなあなたの心について誰も言葉で触れる人がいない。
唯一、恋愛感情の心で繋がったと思い込みたい奥さんも、今ではお前の金しか見ていないし、お前もそれを解っている。残っているのはギリギリの打算勘定さ。
だがな、今からでも遅くない、それだけでも繋がりが何とかあるうちに、お前が格好を付け直せば全てが良くなる。
「金じゃないわ!」と言ってみせろ!
「金は出会えたキッカケだけだ」と語れる男になれ!
生活を続けるのは金でも
二人の力を繋げるのは愛だろう。
…また、お前たちには難しい「愛」という言葉が出てきてしまったが、それも分かりやすい言葉のイメージにしていくと、、
これも心がけだろう。コツコツ小さな日々の愛(思いやり)の積み重ねでもいいし、たまに打つドデカイホームラン級の愛情でもいい。
普段からの感謝もささいな表現に生きる。

こんなものを書いている僕も、昔当時は少し冷めた男だったのかもしれないが、それでも人や自然や物事に対する本物の気持ちや真面目さ、真剣さ、男の本気や、優しさ、思いやり、努力や勇気…など、女性は、綺麗なものなら何でも心の目を向けてくれるはずさ。

♦︎どうだい?お前たちにとって説明の苦手な言葉は「愛・心・器・情け…」などだが、自分自身の中にコレがあると言えるのかい? あると言えるならそれを説明ができるはずだろうし、言葉に説明できないとしても相手には感じさせられるはずだろう?

ところで お前は
同じだけの
立場と立場
能力と能力
金額と金額
体格と体格
目的と目的
…こんな場合の相手となら話すことは得意のはずだが、、何故得意や苦手、簡単や難しいがあるのかを考えてみてほしいし、そこに何があれば上手くいくのかを。

もうこれら以外にも全てにおいて“心”を見極めることが求められる時代が来てるのだが、そのことに、、気付きたくもないだろう?
何故ならオマエが一番苦手な「心」の分野だからさ。

フフフ、でも例えば「サボりたい心が、サボりたい心を呼ぶこと」くらいなら知ってるだろう? 相手の心のせいか?
「ズルい繋がりから抜け出す難しさ」も、それなりに分かっているはずさ。
特にお前たちは「何かにつけて人のせい」だから裏切り等で最後まで事態を悪化させてしまうこともにもなる。

「誰だってフツー、ミンナそんなもんだよ」って?

確かにそうだな。
「誰だって自分が一番カワイイし、
「誰だって金が欲しい。
「誰だってラクは嫌いじゃないし
「誰だって守るべき家族がいるんだから」
…で、だから「ショウガナイ」だろ?

さてと、じゃ、それがショウガナイなら、俺の方も仕方がない。

ここで立ち止まる人の「心(の弱さ)」と、この先に向かおうとする人の「心の成長」で分かれる。

ここから俺が話すのは、更に前にいる人間の「心の強さ」のことさ。

◆じゃあどうすればいいかって?

「重い物を持ち上げる体の力の強さ」はジムに行く。
「テストの点数を上げる頭の力をつける」には塾へ行く。
「嘘をつかない等の心の判断を押し進める力の強さを持つ」という目標には
…どうすればいいかは俺が教えてやる。

ハートトレーニングさ。
Kokoro trainingでも名前なんて何でもいい。
自分でできることをやることだ。
…むしろ自分自心との戦いさ。



ジムに通って力持ちになっても、それだけじゃ女にモテない。
だがな、心の強さを持つと…それだけで 女性にモテるだけでなく、友達にもモテるし、だからこそ更に女性にモテるし頼られるし…何よりそんな人達が自分に対して心からの笑顔を見せてくれるようになるから、自分が一番楽しい“笑える報酬”を受け取ることができるのではないかな。
オマエにはこの経験が無いのかも知れない。
でもイメージはできるだろう?
大切なのは心の強さだぞ。

だが、一つだけ注意しておくぞ、あなたの場合は自分が「自分自身を律した厳しさ」を人に押し付けてはいけない!

できることから、コツコツと。
人生100年かけて。コツコツと。
傷ついたり、迷子になったら…報いのある場所へ。

ゲームの世界で満足なんかしてんじゃねーぞ!

もっと「心について」を言葉にして話してやらないと普段から考えてないお前たちには解らないよな?

例えば
人に銃を持たせた時、勉強ができる頭の良い人でも、頭の悪い人でも…使う目的は頭の良し悪し“だけ”では言い切れない。
心のほうが言い切れるものさ。
あとは何が言いたいのか、分かるか?

心の目を開いて何が見えるか言えるか?
履歴書だけじゃ心は見えない。…でも多少、心が見えるとしたらどんなところでだと思う?


なーんてね。
実は小さなことにも心は込められるんだぜ。

心が何かを少しずつ分からせるために。
色々と。

最後に
競争を否定するわけではない。
協力を肯定し促すものだ。
成長を楽しむための競争は人間的だ。
良い影響を与え合うだろう。

(#1「そんなことないけど…」と言うのだろうけど、お前は自分のほうの原因なんて反省するほどのことを何も見つけられず、人に言えないじゃないか。それじゃあ相手からの言い分は見えていないのだろうな。それでは本当の優しさをも語るにはまだまだだ。)

O.s

心の成長の前に