手紙 「報いについて」 (冒頭、目的、内容、ビジネス)

いいかい?
世の中には皆んなという他人が納得していても、自分という個人的には納得いかないものが誰にでもあるだろう。

だが現実的には全ての事実、事象を納得するしかないもの。
頭や心(こころ)的には理解納得ができていなくても、身体的には全てを受け止めるしかないということだ。
これが現実。これでしかない。

そこにはほんの少しのストレスが溜まるが、周りの人達の心のフォローで大きな救いがあり、これが大きな鍵となる。

★手紙と冒頭 「報いとは」
◆手紙の続き

簡単に言うと「報い」というのは、やったらやった分が返ってくるというもの。
プラスはプラスで。マイナスはマイナスで。
ただそれだけ。

当たり前っていえば、当然、当たり前のこと。

当然 世の中の全ては納得できるものばかりだろう。

…ん!?   違うって?  そんなことない??

じゃあ、ソレだよ。
ソレを教えてくれよ。

「納得いかないもの」にはストレスが掛かるからな。ソレに見合った報酬がないと、ストレスは火薬のように残るもの。

納得いかないもののほとんどは、人との事が絡むもので、もらえると思っていたのが、もらえなかったりすることだが、結局「もらえなかった事実」は現実として受け止めるしかない。

しかし、頭と心は納得がいかないと、その分ストレスになり、残る。
だからといってその事実から目を背けて正しい反省から逃げると、繰り返すので、毎回同じことをするおバカさんになるよね?

ここには人々の頭の悪さと、理解やコミュニケーションの前提となる心の悪さが絡んでいたりもする。
納得できる人と、納得できない人の差と背景。

同じ立場、同じ状況、同じ能力、同じ働き、同じ結果、同じ条件、同じ相手、同じ物、、、
本当は同じものなんてのは人間には無いのに、人は事前に前例と同じ報いを求めたりして信じて動く。個々の背景はとくに複雑なのに。

「こうすれば→こうなる」ということを、
「こうすれば→こうなるはず」ということにして、失敗も楽しめるようになろう。

大体怒る奴ってのは、一秒先の事実に対する自分の覚悟や予測が甘いくせに自覚ぜす、思い通りにならなかった分を他人に責任として求めるから納得いかない。

信じる・信じない…信じられる・信じられない
「言葉を介して報いは人に求められる」

ならばその「納得のいかないもの」に対して、一つ一つ納得してもらえるよう説明し、誰かの言葉で“納損”していたと思い込んでる心のストレスやトラウマがあれば、それを更に他人の心で納得に変えていく。

納得いかないおバカさんには、おバカさんなりの一生懸命さも分かってあげること!
その本気の一生懸命さと引き換えに、周りの人々の心の報酬でフォローしてあげることが大切じゃないかと。…ね。

そこに俺が…そこに繋がりの話しを始めるのさ。

★大学生の皆さんへ
君達は簡単に理解できないものへの協力は苦手だろうけど、これには世の中のマイナス部分のコストをカットする勝算があり、とても大きな経済活動にもつながるのだが…それが見えるかい?

ラクを追求する産業はプラスの可能性を。
楽しみを追求する産業もゼロをプラスに。

手ではなく、心を繋ぐことで、例えば犯罪や犯罪被害のマイナスをゼロにする力になるが、、プラスはその上でさ。だが それにはまだまだ個々の準備が必要さ。未来の仕事に種を蒔いてやるさ。

(ここで俺の言ってる手と心の違いを考えてくれよ。色々な意味で沢山の解釈してくれよ!例えば手は一時的なら、心は24hのやつだ。)

★オッサン達へ
能力を金や数値に置き換えて篩にかけるのは勝手だが簡単過ぎるし、大きな流れの中では「ショウガナイ」って言葉で説明しなくてはいけないことがあり、何か他の目的を含んでいて都合が良くないかい?
だからそこにもう一つ、大事なことを込めていってやるさ。
とても難しいが、とても理想的なこと。
もう、そろそろそれができる時代ですよ。

★付いてくだけの人々へ
「ミンナのようなラクなんて、楽しくないなら要らないぜ!」と昔から言っていたように、
「冷えた中での楽しさなんて、そこに心が無いなら要らないぜ!」と時代に合わせて言ってやるさ。

ここまでの話のイメージは理解できるかい?
簡単に言うぞ。
個々の価値観・納得いかないもの→強引に納得を押し付けず→その他の人々の心で埋め合わせるというもの→「報いの証明」とは人々のマイナス部分をできるだけゼロにすることを先ず。

フフフ、「世の中は金で解決できるし、するしかないんだ!」と思う奴は、そのままでいい。
それも大事な一つさ。いつか心に余裕ができるまで、いつまでもしっかりと頑張っていてくれ。

だが、「金も大事だが…」と思う人は、きっとその続きを相手に分かるような説明ができないだろう?…それなら少し読んでみるといい。

あぁ、、少しじゃないし、読みにくいがね。

さてと。

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『報いの証明』(はじめに)

ほっといて誰かがやってくれることばかりではない。

100年後さ。今から100年後に すべての出来事に「報い」が整っていき始めるように。
「無理だよ」という人には当然無理かもしれないが、、それでも一応同じ世界で暮らしているんだ。 心の準備を頼むぜ!

「報い」は誰もが求める当たり前のことだが、一人一人の心の繋がりや努力無くしては…実現しない。
ありふれた言葉だが「より良い社会のために」
先ずは自分自身から。
そして相手、そして相手の相手、関わる人々、…味方はもちろん、敵の立場も分かるように、そして価値観を超えた皆んなが、100年後には十分なところで一つ一つの物事に対してストレスを溜めず、どんな結果も納得できるような大枠の報いがある事を願います。

大きな流れは国が金で作る
足りない部分や
小さな報いは個人の心で作っていく。

なので、世の中の「報いがない」ところのその原因を一つ一つ見つけたのなら、優しい気持ちで声をかけていき、足りない部分には周りの人の心の繋がりでフォローしてあげていくことが大切です。

そして「報いの証明」はそんな一つ一つを探し出していく。

大きな世の中は小さなことから出来ている。
小さなことからコツコツと。

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◆「報いの証明」の要素とは

例えば
例えば 「バチが当たった」という内容、これは加害者にバチが当たって損したその分が被害者に戻ればまだ良いのだが、加害者にバチが当たったというだけで、被害者の被害は置き去りという内容で使われていて、第三者が言う「アイツにはバチが当たったんだよ」とは、被害者の気持ちをフォローしてるつもりだが、何のフォローにもなっていないことが多い。
それどころか加害者への責めを諦めさせるものにもなりかねない。泣き寝入りをさせることにも使える一言だ。

「ただバチを信じて済むのなら裁判所はいらない」
両者の責任にしっかりと丁寧に向き合わせていく時代には、第三者がこの簡単な言葉だけで無責任に諦めや納得を押し付けるのは良いこととは限らない。
もちろん僕だって使う時はある。
被害者を慰めたり落ち着かせたりするために。
…だから使ってはいけないのではないが、使うなら その言葉だけではなく、両者の報いをしっかりと一緒に考えてあげることのその上で。

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(↓ここからは抜粋内容)

宗教を否定するのではないが、
神様が何でも叶えてくれるわけではない。
ずっと拝んで祈っていればプロ野球選手に成れるわけではない。

同じように
思っているだけ、思い込んでるだけ、信じてるだけ、信じ込んでいながらも、やらなきゃやらなかった分があるだけさ。
やったらやった分だけ。
その道ならその道で。

こんな当たり前のことから…説明しなくてはならない。
冷たいようで、厳しいようで、、
これが現実だ。

「夢」は“夢”として儚く消える前に
“夢”を現実的な「理想」に置き換えて、“実現する道”を探り、「“現実”」のものとする。

そのために言葉にし、身体を動かす。
やるか、やらないか、
一つ一つに心の判断があり、その都度「心の強さ」を必要とする。

→今の今まではそれだけで良いとしても、この先は…少しずつ。そのためにも、少しだけ。
裁判員裁判制度もその一つ。
自分達のこと、自分達で考えていくことを。

決して宗教ではなくて、むしろ無宗教な人ほど、「報いの証明」をリアルな現実社会で自分達なりに作り上げていき、神様なしでも説明できるものに仕上げていって欲しい。
(知っていれば溜めずに済んだであろうストレスやモヤモヤ、イライラを少し助けることになるようにしたり、人々のためにやる“何か”のチャレンジに失敗した時のための心の部分に対して、人間的な心的アドバイスを先手でしておく。)

甘くない現実の厳しさ
金に置き換えられない人間の心の部分
個々それぞれの価値観や性格
言葉に込める想いの深さと重み
共有する時間までの複雑な背景

1人で出す答え(自らに対する
2人で出す答え(互いに対する
3人で出す答え(関係者で出す
それ以上で(社会に対する・自然に対する

この先内容はどんどん複雑で難しくなります。
それでも、それだから、一人一人の納得を大切にできるように。

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◆内容

(僕の話では一部お金を悪のように言っていると思われますが、これからの時代に「お金は(心を添えたり)心と合わせて使うことがベスト」だと説明するような目的なので、分かっている人にとっては当たり前のことですが、先に伝えておきます)

・原動力はお金だけ→心も必要→心が重要へ。

今、人類が、人々が単純に一生懸命やれるのは
もちろん金があるおかげでもある。
金はやったら、やった分もらえ、もらえた分でやってもらえる。
とても分かりやすく扱いやすい数値。

要するに、“何らか”に対して「報いがある状態」をつくりだすこと。

だが褒めて伸ばす内容も、褒められなければ、やらなくなるかもしれないように、金がもらえなければやれないのなら、、それはさみしいことだ。

『報いの証明』は、金でもいいが金だけではなく、心の報いも含めた内容でもあり、金だけでは納得のいかない心の部分にも触れていくことで、いつか金をもらわなくても、心の成長さえあれば その場の最善の判断で動けるような人間をも育てることにも繋がっていく大切なもの。そんなものを一つ一つ集めて『報いの証明』にしていきたいと考えてます。

もっと言えば、、これらを分かっている人に説明する話しではなく、解らなくちゃいけない人や、判ったほうが良い人達に「心の判断(捉え方)の種」を少しずつ。

◆ビジネス的には

・「報われない」と言う人がいても、周りの人が何らかのカタチで。助けられるように。
❶先ずは「知れること」
❷こちらからも少し探すような感じのアプローチする為に、他薦などでも情報を集める
❸救われない事実、事例にはもちろん、個人のアイデアのチャレンジ等を少し助けられる分野のアドバイザーを。(クラウドファウンディング等もその一つのカタチだが金以外の部分にも)

・例えば
・スマホやネットの苦手な老人達等の良きアイデアなどをも募集して、実現の手助け販売のアドバイス。場所の提供の手続きなどしてあげ、存分に仕事に専念できるように。
・「あれば助かる良いこと」でも、利が薄く単体の商売としてはナカナカ成り立ちにくいもの。
・(現時点でのシステム上しょうがない部分に対する)
「人の気持ちが報われるものへの気持ち的な報酬」

他、例えば、
中古CD等で売買されて広まる時の印税は入らないから、、調べられる範囲のカウント数からの年間賞的なものや小さな額の報酬があるだけでも、気持ちが救われたりするはず。同時にこの話も広めて寄付を募る等。

世の中にはまだまだ「少しツマラナイなぁ」から「納得がいかない!」ということまで可能性が沢山埋れているはずです。

何故なら下で困っている人程、そこに対するアイデアがあるが、ナカナカ困っている人だからこそ、忙しくて実現する力や知識や時間が無かったりする。
気持ちや心的な部分を支えるビジネスは中々説明しにくい点のせいもある。

こんなふうに、
❶「ほっといたら実現出来そうにないプラスのアイデア人のほっといたらもったいないモノ」を実現させたり、皆んなが知らないところで皆んなの為に自分をマイナス犠牲にし過ぎた人の❶「マイナスが過ぎた部分のほっといたら可愛そうな、ほっといたら可愛そうなモノ」
そんな世の中の「報いのない話し」を募集して、精査し、公表し、他人の 例えば、共感できる事例に対して、お金なら一人1円ずつでも。集めて渡してあげればいい。
「世の中の報われない事へのビジネス」
少しの人の力と、少しの金の力を。

事件事故に対しては警察や裁判所が動いてくれる。
特許庁はアイデアによる利益の権利を守るところ。

「このままで埋もれていては報われないもののビジネス」は、独占させない前提であり、あくまでも純粋に皆んなの為になれば良いという「そのアイデアを実現させることが一番」という人間の、アイデアしか持っていない人のアイデアに対する公開フォローに。

マイナスの可愛そうな物事に対しては、匿名性での公表で、二度と繰り返さない為のアイデアの募集など。特定の悲劇に対する公開アドバイスなど。そして、人の失敗事例から応用を考える力を学ぶサイトとして。

・●サイト(次は心の先進国から抜粋)
この時代、この世の中に
「報いのないと思われる事を集める」
原因や影響など、話し合える場にする
問題点を解決に導くキッカケに必要なものを
見い出す場として。
そして、報いが証明されるところまで。

報われない人には、救いのない状態に対しても
・僕らからはポジティブ思考例を与えることとと、、
・皆んなからは応援と同情の声をもらい、
・十分に報いが証明されるところまで、
・元気をもらえる場を作りたい。
・世の中(人間社会)の課題を前に進める
・問題解決できる多様な考え方の共有
・正しく実践してみせられる心の強さを持たせる

*マニュアル化してはいけないことに注意しながらやることが重要なので、この点についてもご相談させていただきたいです。

例えば、実践の失敗などの事実に対しての謝罪のカタチに関しては一切具体的例を書かない。
(なぜなら謝罪や反省は自分自身の考えの誠意でやり切ってもらわなくては、謝罪される方が相手の誠意の有無の判定ができにくくなることだったり、誠意無き者の反省は薄く成長が見込めず、繰り返す可能性に対して注意がしにくくなること等にも繋がるため。)

アイデアなら幾らでもありますが、僕1人の力では何も出来ません。
ご協力をよろしくお願いします。

だが、まだまだ今は
夜寝てる間に見る夢と、将来の夢は同じ夢として、、明確に分けなくてもそのままでもいい。
それが優しさだ。




O.s

報いの証明